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2013年3月24日 (日)

下り坂(113)

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 斎藤は駅から少し歩いた場所にある居酒屋を案内した。歩道橋で路面電車の上を渡り、電車通りに面した店である。「ケースケがこっちに来たときもここにしたよ」と彼は言った。大塚はイージス艦に乗り組んでいて一等海曹だと聞いた。「テツだと一等海尉か三等海佐になるのかな」と斎藤は名刺を見て言った。

 五島付近で獲れた魚にビールでスタートした。K歯科大病院で六年勤務して長崎に戻った斎藤は四年前に結婚して娘が生まれた。剣道のほうは福岡にいる最後の年に四段合格したが、五段は「稽古不足で無理だな」と言っていた。玉竜のハイライトシーンがあることは知らないみたいだが、哲也は五人抜きのことは言わなかった。

「何とか二十世紀のうちに四段に上がれたけど、俺も次は厳しいような感じ」

 哲也は正月恒例の初稽古をした。尾崎には面返し胴を一本だけ入れたが、そのあとは取られる一方だった。他の一年生にも初対面の挨拶でまず胴に一撃を加えた。尾崎の他にN中出身の者がいて一本勝負で胴を決められた。

「白いソアラはどうした」という哲也の問いに斎藤は「今はワインレッドのブレビスにしてる」と答えた。ブレビスは五ナンバーの車体に2500か3000ccのエンジンでコンパクトな高級車を売りにしていた。狭い路地が多いからと彼は言った。

「アメリカのテロでどうなるか」というのは哲也にとっては出向元の問題であり、大塚にとってはペルシァ湾派遣という問題だった。K高の修学旅行もニュージーランドが取りやめになって冬場のスキーに変更された。ハウステンボスは国内へのシフトなら多少の期待はあるが、それも修学旅行くらいである。哲也の小学校時代は別府・阿蘇と回ったが、今は長崎県になっていた。

 最後は鮭茶漬けで締めにすると時間は夜九時になっていた。斎藤は電車通り沿いに県庁のほうに向かい、哲也はホテルに戻った。まだ飲み足りないような気がして廊下に出ると自動販売機の缶ビールを買った。路面電車の走る音が部屋の中に響いた。

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