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2013年3月 1日 (金)

下り坂(85)

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 新大阪駅の新幹線ホームに哲也が上がったとき、頭上を伊丹空港に着陸する747が通り過ぎた。二月半ばの土曜日、哲也は小倉で見合いをするために新幹線で戻ることにした。正月に帰ったときに見合いの話が持ち上がり、哲也は一月中は難しいと答えた。三度目の四段審査は実技でK電力と府職員とあたり、相手二人は合格したのに哲也の番号はなかった。打たれたということはなく、むしろ哲也のほうが面返し胴を一本ずつ浴びせていた。

 見合いは日曜日の昼ということだが、前日から戻ることにした。武道館での稽古が一時間後に始まるが、哲也はしばらく剣道から離れたほうがいいのかなと思った。市立大や府立大の学生とも竹刀を交え、出鼻の面や返し胴を全員から取った。決して待って打つのではなく、相手の打ちを引き出して打つようにしているのであるが、もっと自分から仕掛けよという注意をされていた。

 哲也の乗る列車が入ってきた。「のぞみ」は割安の切符では乗れないので、「ひかり」にしていた。「ひかり」でも二階建て車両が四両も組み込まれたタイプの一階席、新大阪以西のみで十二両編成と少し短いのは横五列ではなく四列とゆったりしていた。大阪と福岡も飛行機のドル箱路線ではあるものの、JR側のこうした対抗策で徐々に侵食されつつあった。一年前は震災で新幹線が止まり、少し航空が押し戻した形である。大阪と小倉はもはや飛行機の出る幕ではなくなってしまった。

 1階席はホームを下から見上げる感じである。景色は防音壁に遮られるので、壁にはスクリーンが取り付けられていた。哲也はA席だが、隣は空いていたし、他の客も少なかった。四両の二階部分は一両が食堂車で、あとはグリーンだった。六甲トンネルに入るまでの区間は最初は風雨に二十年以上さらされたコンクリートだが、途中からまだ新しい純白の防音壁に変わっていた。

 小倉駅は南口の四階建ての駅ビルが取り壊されて仮駅舎になっていた。前方に見えるモノレールの停留所から延伸工事を始めて四本あるJR在来線のホームの真上に直角に乗り入れ、改札口はホームの上、モノレールの入る部分の両側と上に新しい駅ビルが門のように作られるというイメージ図があった。新幹線の最終とモノレールの乗り継ぎが便利になると福岡空港経由がさらに取られるのかなと哲也は思った。

 

 

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