下り坂(88)
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年末の大阪の街を首をすくめたくなる冷たい風が吹き抜けていた。スポーツバッグに着替えなどを詰め込んだ哲也は、新今宮駅でJRに乗り換える改札で定期を見せ、大阪市内から北九州市内への乗車券にゴム印を押してもらった。元旦の稽古は見るだけのつもりである。七月に受けた四回目の四段審査も実技で終わった。先生からは「あと一人マルをくれたら受かっていた」と聞かされた。
一月の審査はフィリピン・シンガポール・マレーシアの航空貨物施設の調査に参加するために見送りを決めた。出発が当日で帰国するのは金曜日である。お見合いのほうもW高からN学園大に進んで栄養士をしている人、S学院大の大学院で英文学を専攻している人に会ったが、いずれもゴールにはたどり着けなかった。結婚紹介所に登録して探すということで以後は辞退した。
ホームに入ってきたのは奈良からの快速である。オレンジ色の環状線内の各駅停車と違って白い車体に窓の下の青と黄土色のラインが、格上であることを物語っていた。シートは二人がけの背もたれを動かして向きを変えるタイプで、今日は楽に座れた。JRになってから登場したこの電車は東海道・山陽で新快速に使われていたが、最高速度を百二十キロから百三十キロに上げるために新しいタイプと交代させられた。
大阪駅で乗り換えた新快速は大混雑だった。大勢降りたものの、乗るほうも多いからである。中田と一緒に小倉に帰るときに乗ったクリームに茶帯の電車、さきほど乗った電車、そして今は銀色の車体に青いラインと十年の間に三つのタイプが変わった。大阪駅を出ると左にカーブが続き、淀川の鉄橋を勢いよく渡って新大阪駅に滑り込んだ。地下鉄は新大阪駅の長い新幹線ホームの神戸側、JR在来線は京都側で交差していた。
年末年始はエコノミー切符が使えないので、「のぞみ」を予約した。乗り換え改札口のそばにあるキオスクで家への手土産に「赤福」を買った。哲也の席はC席だった。荷物棚は「ひかり」に比べて小さいため、乗せるのは諦めた。三列後ろのDに中田がいるのに驚いた。向こうも哲也に気づいて左手を少し上げた。Eには女性客がいた。車内は席が全部埋まった状態で出発した。
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