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2013年3月23日 (土)

下り坂(110)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

 同窓会長と校長があいさつをして乾杯となった。校長が「K高などの進学校にどれだけ合格させられるかが本校の存在意義になっている」と述べ、今年は十七人がK高、十二人がT高、K附設や日本最難関のN高にも合格していると言った。剣道部が全国大会に出たことは触れられていなかった。

 同期でテーブルを囲んだのは八人だった。バイキングの料理をかき集め、名刺を交換していたらやはり哲也の肩書きには驚きがあった。恩師は数学・社会・理科・体育の先生が残っていた。現在も勤務しているのは理科と体育の先生である。

「それにしても県立に行って今日来たのは岡部だけだね」

「上の方々もそうみたいだし・・・去年剣道部に顔出したんだって」

「男女共学になったから。あっこんなこと言うと黒と白に赤ランプつきの車が来るかも」

 会場の一角でひときわ賑やかなのが剣道部のOBのところだった。哲也の卒業と入れ替わりに来た先生はずっと勤務していて同窓会に集まった主力となっていた。哲也は足を運んで四段にたどり着けたことを報告した。この中にもK高に来た者はいなかった。

「全国に出たメンバーはあちこちに散らばったみたいですね。O、М、東F」

 OBの一人が哲也にビールをつぎながら言った。哲也は玉竜で技が決まったシーンがインターネットに出ていると知って開いたらK高に入ったばかりの尾崎が先鋒で出ているのに気づいた。一回戦はどういう巡り会わせかN高である。

「いやあ、尾崎君の五人抜きにはびっくりしたなぁ」

 彼は小手一本勝ちで一人抜くと、面と引き胴、小手と面、面抜き胴一本と続け、大将には面返し胴を取られたが、逆胴で追いついて最後は小手で五人抜きを達成した。次の相手は京都から来たチームで、小手を先取したものの、つばぜり合いからの引き胴で引き分けにされ、そのあと四人抜きされて終わった。Мに行った者は一年生でもう大将になっていた。こちらは五回戦まで戦い、大将は最後の試合で相手の副将と引き分けである。

「今年も男子は県大会に行って、女子はあと一歩でした。でも新チームはもしかしたらですよ」と顧問の先生が言った。

 関門海峡や工場地帯、市街地に山々が次第に夜の帳に包まれる頃に会はお開きになった。それから二次会ということで駅の南にあるイタリアレストランに移動した。若手の卒業生は別のグループとなり、一期生から哲也たち五期生までが約二十人固まった。二期と三期に剣道部が一人ずついたが、どちらも今はやっていなくて初段でやめていた。二期のほうは長男がN中に今年入って入部したそうである。

 

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