下り坂(111)
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パスタにピザ、イタリアワインでの二次会では、子供の教育が話題になっていた。同窓会長の長男はまだ小学校に入ったばかり、三期生の部の先輩には小学生の娘が二人いて剣道をしているそうである。「共学になったから行けるね」「娘欲しかったら俺から一本取れ、といってもみんな簡単に取れるかも」というような声がした。
「それにしてもN高は生徒集めに苦しんでいるみたいで」
同窓会長もN高だった。JR筑豊本線・篠栗線が電化されて博多への通学がやりやすくなったためか、そちらに流れているそうである。全員が寮に入るという制度は完全になくなり、地元からどうやって集めるかという状態だった。二期生の元剣道部もN高で剣道を続けたが、哲也の母校に五人抜きされていたことは同窓会で初めて知ったようだった。
三次会に行くのは辞退してホテルに戻った。長崎に出張する機会があれば斎藤と会ってみると小松に告げて別れた。まだはっきりしていないが、北九州だけでなく、長崎や大分の観光に関する調査も割り当てられる感じだった。現地で行われる委員会やヒアリングで毎週のように東京と九州を往復する見込みである。
ホテルでの朝食を済ませた哲也は朝風呂に入って着替えなおした。東京に戻る飛行機は午後なので、モノレールで終点まで行ってみたり、帰りは旦過市場を覗いたりしてJR日豊線とバスで空港に向かった。新しい空港へのアクセスをどうするかが検討課題になっていて鉄道乗り入れが模索されていたが、どうやら道路だけで行く模様である。宮崎空港では最寄のJR日南線から約二キロの線路を引き込んだが、新しい北九州空港はJR日豊線から八キロくらい離れていた。モノレールを延長するのも費用と効果のバランスで疑問だった。
哲也の席はМD87は左翼の少し前の窓側である。海側へ向かって滑走路の端でUターンし、離陸すると少し左にコースを取った。前日見た丘の上を通り、今度は右旋回である。哲也は窓に顔を寄せて市街地を見下ろした。K高のあたり、市役所や駅周辺、実家のある付近は窓のギリギリ下である。標高六百メートルの足立山に余裕を持たせるために高度はもう千メートルくらいになっていた。それから周防灘の上に出るが、新しい空港を作るための埋め立て工事が始まっている場所は右側の窓でないと見えないコースである。
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