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2013年3月15日 (金)

杉山寅之助・伝(2)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

 太平洋の波が押し寄せる海岸を測量しながら移動している一団があった。東京と京都をつなぐ鉄道路線は中仙道ルートで工事が始められたが、鉄道局長の井上勝はやはり東海道のほうが工期も建設費用も有利ではないかと密かに調査を命じた。寅之助もその一員として東海道を西下しているところである。

 山口の明倫館で優秀な成績を修めた寅之助は松陰門下で最年少の山田顕義に書生として預けられた。弘中は山田に寅之助を託すとき、剣術師範の倅で多少仕込まれているのでボディガードとしても役に立つと告げた。山田は陸軍中将を最後に軍から退いて工部卿に転じていたので、寅之助を工部大学校に入れた。土木を専攻した寅之助は鉄道の世界に進んだ。

「やっぱり東海道ルートだよな」

 小休止をしているとき、同じ長州出身の小橋が寅之助に声をかけた。彼は寅之助より年は一つ上だが、工部大学校に入ったのは同じ年だった。

「箱根以外は工事も楽ですよね」

 箱根の北か南かで意見が割れたが、箱根の南は最低でも五マイルの長さのトンネルが必要で今の技術では無理ということから北ルートという報告書が皆の頭に出来ていた。それでも工事は難航しそうだという見立てになった。

「橋を架けるのも大変だけどな」

 東から相模川・富士川・大井川・天竜川・浜名湖の入り口・木曽川・長良川などが東海道の大きな川である。酒匂川は箱根北ルートならば川沿いに進むという形だった。

「神戸から先もいつかはやるんでしょうね」

「馬関の海峡はどうやって渡ることになるだろう」

 寅之助は遠い将来の日本の鉄道の姿を思い浮かべた。紅溜色の機関車が紅溜に黄金色の帯を入れた客車を引いて毎時六十マイルで疾走する。東京から馬関までは十二時間。九州にも鉄道は敷かれるが、九州とつなぐのは海底のトンネルになるか巨大な鉄橋を架けるか、それは将来の課題だった。

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