下り坂(101)
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立食パーティではA社のビールで乾杯が行われた。三月に卒業して東京周辺の大学に進学した者は参加費無料だった。八人が来ていてうち一人は剣道部である。哲也はビールを注いで近況を尋ねた。М大学の商学部ということは元J航空だった先生がいるところである。大学では剣道部に入らず、同好会でやっていた。髪をピンクに染めていたのはN大の工学部で、自己紹介のときに会場の空気が凍りついた。
旧制中学の二十期より前にはテーブル席が用意されていたが、もう少し対象を広げたほうがよかったんじゃないかと哲也は言った。「まあそれだけ元気なご老人しか来ないでしょ」と道路公団の者が応じた。会社の仕事と同窓会準備で疲れていた同期の何人かは会場の端に並べられた椅子に腰を下ろしていた。三十七期時代の担任の先生は小倉では十人中九人が揃ったが、こちらには二人である。
哲也が一年のときと三年のときの担任だった。JRの者が「のぞみ」で手配をしていた。井原たちはD航空で小倉の空港から上京である。市役所ではD航空利用促進のためのキャンペーンをしていて、それは東京からの帰省にもという呼びかけも行われた。哲也は立場上無理だった。六年くらい先には海上に建設している新空港が完成し、滑走路は747も使えるものの、哲也は767を埋められれば最高と見ていた。
三十七期の活躍ぶりというビデオが上映され、辻がオウム事件のリポートをやっている様子、М新聞に入った演劇部の女子が紹介された。それから生徒会長が、グレーの制服に一本線の帽子、肩掛けかばんの出で立ちで現れた。在学時と全く変わらない風貌に歓声が沸いた。最後に元応援団による指揮で校歌となった。二時間でパーティーが終了すると残った酒は大学生グループに後の処理を託され、横断幕を背景に三十七期と先生の集合写真でお開きとなった。
打ち上げはホテルから少し離れたイタリアレストランで行われた。最初の話題はピンク色に髪を染めた者がいたことで「たった二ヶ月でねぇ」「最近の若いのは」などと声が上がった。哲也は辻と同じテーブルについた。一年のときの担任に道路公団、JRの者も一緒である。よく考えたら交通系だった。
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