下り坂(69)
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寮は豪徳寺駅から南に歩いて5分くらいのところにあった。福岡と同じ大きさであるが、駐車場はなかった。他にも鉄道の路線があるので、車なしでも全く困らない状況である。寮の管理人は福岡と同じように還暦を過ぎた感じで、食堂も福岡と同じだった。単身引っ越しの荷物は管理人室のそばにロールボックスのまま保管されていた。二階の部屋に運ぶにはエレベータがあるものの、代車に載せ替える必要があると言われた。
哲也の割り当てられた部屋はトイレの向かい側だった。夕食を済ませてからロールボックスにある段ボールを部屋に移した。ロールボックスが空になって部屋で段ボールの開封をしていると誰かがドアをノックした。
「剣道部のWと言います。岡部さんですか」
部屋には剣道の防具袋と竹刀袋があるので、すぐにわかった。Wは昭和60年の入社で貨物郵便部にいると自己紹介した。M大学の出身で、大阪支店勤務のときに4段を取ったそうである。
「ここから200メートルくらいのところに小学校があって、そこでS剣友会というのが月・水・土の午後7時から9時まで稽古してます。8時半までは小中学生でそのあと大人が少しです。区の連盟は日曜日の昼前。水曜はノー残業が推奨されてますから・・・」
「4月は稽古ができない日とかありますか」
「今のところは大丈夫です。選挙とかで学校の体育館がダメなときは、K中学・高校にお邪魔するということで・・・。ところで相当強いとお聞きしましたが」
「大学では剣道休んでましたから・・・東京では何人くらいおられますか」
「この寮で他に2人、近くに住んでいる人が4人。6月の関東実業団は大変でしょうけど、9月の実業団や12月の運輸大臣杯争奪には入っていただくことも」
S剣友会は警視庁を退職した先生を中心にして、小中学生は総勢で80人、一般も30人は来るという大所帯と聞いた。環境としては申し分ないしあとは道具などの購入とメンテナンスがどこでやれるかだった。
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