下り坂(78)
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東京へ戻るために93番のバスに乗った哲也は小倉駅前で降りた。路面電車が廃止されてからバスのルートは少し変わった。電車の走る通りは東向きに一方通行だったが、それが解除されたため、K高校方面に向かうバスは電車の通りを西向きに走った。駅前という停留所も駅のすぐ前ではなくなった。
駅の前には新しくS百貨店が前年の秋にオープンした。一番高い14階は回転式の展望レストランになっていたが、建物の外壁が薄いピンクというのに違和感があった。大晦日に哲也は店内をザッと見て回って職場や剣友会への土産も購入したが、品揃えが全体に高級路線を行っているのもなじめない気がした。
小倉から博多までの移動は戻ったときと同じく在来線の快速電車にした。水中眼鏡のようなフロントに赤と青のライン入りの電車はさらに増えて快速はすべてこれになったそうである。五百円で自由席特急券を買えば、正面が白で銀色に赤い帯の新型特急車両か国鉄時代の車両すべて赤く塗ったのにあたった。
博多駅に着くと地下鉄に乗り換えた。哲也が東京に転勤した翌年に空港へ乗り入れるようになり、福岡は日本で一番空港へのアクセスが便利な都市になった。ロンドンから帰るときはピカデリーライン一本で空港に戻ったが、こちらも遠くは唐津から直行、長崎や熊本からでさえ福岡空港を利用するのが便利という状態である。
福岡空港駅は新しくなった第二ターミナルビルの真下だった。第一がローカル、第二は幹線、第三は国際となっていた。A空輸は福岡から大連を経由して北京に飛ぶ路線を作ったが、福岡からの国際線はそれだけで、他の地域には相手国のエアラインによる運航となっていたし、アメリカやヨーロッパへの直行便は滑走路の長さが少し足りなかった。それでも開発中のボーイング777なら可能になるという期待があった。
チェックインカウンターでは二階席の窓側なら空いているということで82Aを割り当ててもらった。すぐ後ろは階段が上がってくる壁である。搭乗口に行くと入ってきたのはクジラの747だった。これで飛ぶのは初めてだった。羽田と福岡を結ぶ路線はすべて747になり、トライスターは退役が間近になっていた。
中に入ればシートカバーにクジラのマークが入っている以外は普通の747である。搭乗券の番号で抽選をすることや無料でもらえる絵葉書があるのが違っていた。天気はよく大阪湾を南からじっくり見ることができた。関西国際空港はすぐ下にあって連絡橋もわかったし、仁徳陵も日本史の教科書で見たとおりの姿だった。
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