下り坂(72)
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車は地上に出ると南のほうに向かった。K先生は哲也に剣道歴を尋ねた。高校までやって大学で空けたことを東京の先生に言ったのは初めてである。なぜ大学でやらなかったかは深く聞かれたりはしなかった。それから遠間からの打ちは九州では普通だが、東日本はもっと攻め入っているとも言われた。
小菅というところで首都高速に上がった。K先生は二十代の剣道から年を経て体のバネが消えていくのをどうカバーするかが大事とも言った。隣の五段の人が「体力的には十八歳がピークであとは長い下り坂だそうだ」と小声で言った。右手は川になっていて車の流れはスムーズだった。
「箱崎はいつも混むなぁ」
K先生がそう言うとM先生が「武道館のほうを通りましょうか」と応じた。K先生が「岡部君は東京では電車だけなの」と尋ねた。
「免許はありますが、車は持っていません」
哲也は道の両側に視線を走らせながら答えた。首都高速から東京を見るのは初めてで、電車からとは違った風景に新鮮さがあった。箱崎から江戸橋、一ツ橋を過ぎてから「ここが日本武道館に一番近いところ」とM先生が言った。
三軒茶屋で下の道に下りて、区役所のところで解散した。そこから寮までは歩いて八分くらいである。食堂が開くまでは少し時間があった。ダブルヘッダーで稽古するので防具袋は開けなかった。
福岡のときと同じように食堂が開くと同時に入った。Wも現れて哲也と同じテーブルについた。正月はどうするのかという話になって、母校の稽古初めに出ると答えた。ゼッケンと稽古着・袴だけ運んで道具や竹刀は借りるというやり方をしている人もいて哲也も今度はそのようにするつもりだった。
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