下り坂(73)
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ロンドン行きの747は窓側と通路側の席がほぼ埋まった状態だった。哲也は夏休みを七月にもらって四泊五日の個人旅行でロンドンに滞在することにした。海外に出るのはこれが初めてだった。小倉にはゴールデンウィークのときに敵情視察も兼ねて新幹線で往復した。三月に「のぞみ」が東京と博多を一時間に一往復するようになって、岡山と広島は飛行機のスピードの優位がなくなった。そのため特別割引の切符を作るのに哲也も関わった。
哲也の席は左主翼の少し後ろの通路側である。窓越しに見える主翼の先端は上に小さく折り曲げたようになっていた。これで空気抵抗が減って燃費がよくなり、ロシアの上空を飛ばず、アラスカに降りずにアメリカ東海岸やヨーロッパに飛べるという触れ込みだったが、ロシアの上空を飛ぶほうがやはり近道だった。それでも十二時間の飛行というのが重くのしかかった。通路側だから手洗いに行くのは気兼ねなく済んだ。
ターミナルビルを離れても滑走路まで移動するのが大変だった。一本しかない上にA空輸の割り当てられたスポットは滑走路に面していないエリアだからである。もう一本できれば国内や近距離の国際線ならばすぐに入れた。羽田から飛べたらというのは哲也だけでなく多くの人が思っていた。寮から成田空港まで移動するのに原宿でいつもの通勤ルートから乗り換えて品川に行き、そこから成田空港行きの快速電車に乗った。寮での朝食を食べていると時間の余裕がないので早く出た。これが羽田なら八時頃に出ても余裕である。
ようやく滑走路に入って離陸が始まった。「のぞみ」と同じ二百七十キロで走る感じになって機体は前方が上がり、国内に比べると重たそうな感じで上昇しだした。国内ならば二百七十二トンだが、ロンドンまで飛ぶ燃料を満載すると三百九十六トンになるからである。太平洋の上に出ると緩やかに旋回して北西方向に進路を取った。ベルト着用のサインが消えると少し遅くなる昼食を和食にするか洋食にするか注文を取りにきた。哲也は洋食を選んだ。
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