下り坂(71)
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東京武道館の建物のデザインは「菱形を組み合わせた前衛芸術」といった趣で、哲也にはこれが本当に武道をやる施設なのかと思えるものだった。入り口で所属する連盟と名前に段位を記入して更衣室で着替えた。服を入れた防具袋は第一武道場まで持って行った。第一武道場の隣は弓道場になっていて女子高生の軍団に視線を送っている剣士も散見された。
第一武道場は10試合場は作れる広さだった。周囲には観覧席があって国旗を掲揚する側に赤い絨毯が敷かれていた。こちらに8段の先生が並んだ。その人数は25人で、中央には全日本で優勝した警視庁のC先生、そこから左側に5人目のところに区の連盟のK先生がいた。向き合うように座る参加者は150人くらいいて面をつけたあとは真ん中の先生に並ぶために騒然となった。
「岡部君、中心に近い先生に掛かるのは1人がやっとだから、端のほうの列が短い先生にドンドンかかりなさい」
同じ区から来ている6段のM先生が言った。真ん中は30人くらい並んだ状態で、午後3時には終わるという稽古ではやれるかどうかという感じである。一方端のほうはかなり年を取った先生ばかりで並んでいる人数も比較的少なかった。これは区の稽古でも同じで70歳以上の先生は時折手持無沙汰になる状態だった。元立ちを開けてはいけないというのはK高校から不文律で、列の後ろにいる者がそこに入るということになっていた。
一番端の先生は4人目だった。掛かっているのは女性ばかりで自分がかかっていいのかなと一瞬思ったりした。上の先生には打ってくるのを返すのはタブーなので、自分から面一本やりで打って行った。先生は防ぐこともせずに時折かわしたり、面を開けたりして、最後は打ちこみ稽古と言われた。終わってみると息があがってしまって、しばらく座り込んでしまった。
次に並んだ先生も哲也に打たせるだけで、途中でやめをかけ「何段なの?」と尋ねられた。3段と応えると「基本はできているけど、ときおり右に行こうとする傾向がある」と注意された。そのあとは最初の先生と同じように打ち込み稽古で終わった。3人目の先生の行列は少し長かった。あと一人というところで終わりが告げられた。
「岡部君、 K先生を乗せて帰るけど、一緒に帰りますか」
更衣室で着替えを済ませると、M先生から声をかけられた。哲也はK先生の道具も持って地下の駐車場に降りた。M先生は紺色のクラウンで来ていて、K先生は助手席、哲也は後部座席の左側、右側に5段の先生が座った。オーナーカーだからこれでいいのだった。
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