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2013年2月 5日 (火)

下り坂(59)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

 準備体操と素振りのあと、すぐに面を被るのではなく、足さばきから空間打突と初心者のメニューが入っていた。それからマダ面をかぶらない組、小学生は3年までと4年以上、中学生以上に分かれて基本の稽古である。哲也は中学生以上の中に入った。4段以上はそれを見て悪い点を注意するという形である。

 学校のクラブと同じく、切り返し、正面打ち、小手・面、小手・面体当たり引き胴、出ばな小手、面抜き胴というメニューでそれから試合稽古である。中学生7人、大人は哲也ともう一人保護者の母で1人余るため6年生のキャプテンが連れてこられた。哲也の最初の相手は区の大会の中学1年の部で優勝した者だった。なかなか当たる機会が来なかったので、哲也は気合を入れた。

 剣先を効かせて出ばなを狙っていたら反時計回りに攻めてきた。長身の相手が強気で面を狙ってきたのを足を右前方に踏み出して胴を抜いた。振り向くと反撃でもう一度面に来ようとしたのを中段の構えで制した。そのあとは掛かり稽古を受けるような感じで終了した。次はキャプテンで試合稽古は3度目である。やはり最初は面に来たのを受け止めて胴に返した。

 中二の2人は昇段審査を控えて真っすぐな打ちに徹していた。哲也もそれに対しては面を合わせたり、出小手そして抜き胴で応じた。その後は一般の人も面を被って掛かり稽古の元に立つこととなった。秋までは哲也も掛かる側にいたが、12月以降は元の側にと言われた。

 終わりの礼のあと、7段の先生も面をかぶって一般対象の恵子となったが、小中学生の一部も残った。4段を取るまではマダ打ち込み稽古か掛かり稽古ということで哲也は掛かり稽古モードで臨んだ。

「4月に市の剣道祭がありますが、団体で出ますか」

 稽古が済んで先生に挨拶をした哲也はそう言われた。4月の第2日曜に3人制の団体が市民体育館であり、稽古会から4チームは出してみようということだった。社会人は職場からとなったりしていた。年齢の若い方から先鋒という構成で哲也はDチームの先鋒ということになった。

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