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2013年2月 1日 (金)

下り坂(55)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

 羽田空港を離陸する一番機が轟音をあげる音が響いた。整備場にある研修施設にいた哲也はベッドから出て着替えを始めた。A空輸に入社して最初の半月は技術系やパイロット訓練生と合同で会社の歴史やビジネスマナーなどを仕込まれた。その後、6月末まで事務系総合職とパイロット訓練生は羽田空港で旅客のチェックイン業務、技術系は整備作業の研修を受けることになった。

 チェックインは最初、手荷物にタグをつける作業である。剣道の防具袋を見たときは言われなくても「取扱い注意」の札もつけた。端末の操作はゴールデンウィークが済んで落ち着いた頃から旅客が少ない路線でやらせてもらった。さらに搭乗口での改札も担当し、空港業務の体験は終わった。入社直後に配属が発表され、哲也は福岡支店の勤務だった。福岡では独身寮に住むことが決まり、赴任直前に身の回り品を宅配便で送る指示が出た。

 研修施設での朝食は朝7時半からだった。クロワッサンやロールパンにマーガリン、牛乳とコーヒー、ハムエッグにサラダを選んで、さっさと済ませた。手洗いの個室は一つだけ洋で、あとは和がずらりという状況である。外国で育ったという者が「洋室」が開くのをずっと待つのを横目に哲也は「和室」に入った。

 研修施設からターミナルまではモノレールでの移動だった。朝8時半から午後5時半までが基本で、午後6時から夕食である。土日は研修は休みでそんなときにモノレールで浜松町へ出て都内を見て回った。有楽町・皇居前・秋葉原・両国・靖国神社・新宿・渋谷と回り、さらに京浜急行を利用して横浜と横須賀にも足を延ばしたこともあった。

 東京周辺に勤務する者は、最初の集合研修が終わる時点で世田谷の独身寮に移動した。パイロット訓練生は7月から座学という学科研修が始まり、秋にはアメリカで単発機の飛行訓練に臨むそうである。事務系総合職の同期は100名で、半数近くが関東、あとは大阪・札幌・仙台・広島・福岡などの支店に分かれた。

 TOEICという英語力を図るテストが入試式の直後に行われ、哲也のスコアは490だった。大学卒の新人の平均よりは上であるが、エアラインの場合は平均が550なので少し厳しい感じである。海外支店に勤務するには730以上が目安と言われた。支店では旅行に関する資格を取ることが推奨され、パソコンやワープロを使いこなせることも必要だった。

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