下り坂(61)
前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m
久しぶりに実家で日曜の夜を過ごした哲也は、93番のバスで小倉駅へ向かっていた。高速バスを使うと福岡インターから天神までの渋滞があるし、料金もJRの普通運賃のほうが少しだけ安かった。国鉄時代に比べると小倉と博多は快速と各駅停車が10分ごとに交互で走るようになって便利になった。
土曜の夜に寮の近くで稽古して、日曜日の夕食と月曜の朝食を欠食するというのが実家に帰るときのパターンである。入社2年目になって4月は福岡市の剣道祭に出場した。哲也は先鋒でまず消防局のチームと対戦したが、飛び込み胴が旗一本のみ、互いに有効打のないまま後ろが負けた。
7月にはC大学出身で福岡空港支店に配属された者が入寮した。永井のことも覚えていて彼の大学での様子を聞くことができた。しかし、4段の人は東京へ転勤し、会社のチームを組むことはまた難しくなった。8月の昇段審査は旅行関係の資格試験の日と重なって見送ることになった。試験は国内取扱いをクリアして次は海外もというところである。
3月に受けたTOEICのスコアは580と入社時に比べたら上がったものの、海外出張の基準が600なのでまだまだだった。9月には区の大会があって個人での出場だった。哲也は20代男子の部で準優勝した。エントリーは30人で小手抜き面と面返し胴で勝ち進んだ。決勝の相手はK産業大の学生で、哲也は面抜き胴で先行したが、小手を二本返されてしまった。
小倉駅に着くとオレンジカードを使って博多までの券を買った。カードはチケットショップで売っていたもので、桜の咲く小倉城のデザインである。会社では間違ってテレホンカードを券売機に入れて赤恥をかいた経験から鉄道関係は電車のデザインでないと駄目と言っている人がいた。
ホームに上がると小倉始発の快速電車に乗り込んだ。JRになってから正面は水中眼鏡のような白と黒ガラス、銀色の車体に窓の下が赤と青のライン、座席は背もたれを動かして向きを変える新しいタイプが入ってきた。哲也は4両編成を2つつないでいる前から2両目に乗り込んだ。左の窓側に腰を下ろすとしばらくして年配の通勤客が隣に来た。
| 固定リンク
コメント