下り坂(58)
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午後6時に寮の食堂が開くと同時に哲也は中に入った。唐揚げとサラダの大皿、みそ汁、ご飯をトレイに並べ、そそくさと済ませた。配属された福岡支店では旅行代理店や法人への営業活動だった。寮にはW大出身で4段を持つ人がいて新人紹介で2段と書いた哲也は寮からすぐ近くの小学校で稽古している会に誘われた。その人は支店では総務をやっていた。
7月の時点では午後7時から約2時間行われる稽古を見ながら足さばき、素振りと再開し、盆休が開ける頃に実家から防具を持ってきた。会は火曜・木曜・土曜と週3回だが、会社勤めの身では土曜日だけである。九州でも行われる実業団大会は哲也を含めても4人ということで出場は見送りになった。年度の途中からの連盟加入もすぐに3段を受けるのは難しいということで新年度になってからと決めた。
元日のK高での稽古初めではA空輸のゼッケンをつけ、新調した稽古着と袴で臨んだ。山口の県立高校教員に合格した永田とは稽古できず、永井は来ていなかった。キャプテンとなった山田と最初に竹刀を交え、初太刀で面抜き胴を決めた。新人戦の県北部予選を個人1位で通過した彼は、鋭い攻めで哲也の手元を浮かせで胴に切りかえした。哲也は他の現役部員の胴も次々にバッサリと切った。得意技は健在なんだなと改めて思った。
部屋に戻った哲也は剣道着に着替えてジャンパーを羽織い、防具袋と竹刀袋をかついで寮から小学校に移動した。体育館のステージの楽屋で着替えるのも冬場は寒くて大変だった。
稽古会は7段の先生2人を中心に大人は刑務官・Q電力・N鉄道などの社会人が25人ほど、そしてその人たちの子供も含めて小中学生が70人はいた。小6がキャプテンとして号令係をやり、はじめの礼では島田虎之助の「剣は心なり 心正しからざれば 剣また正しからず 剣を学ばんとすれば まず心より正すべし」と唱和した。
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