下り坂(62)
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快速電車は席がほぼ埋まった状態で小倉駅を発車した。歓楽街の脇を抜けて紫川の鉄橋を渡り、新幹線の高架が頭上を越えるあたりで哲也は車窓に集中した。ガスタンクの間からK高の校舎の一部が見えた。今度は右手にコンテナが並んだ貨物駅、そして左手にはF模試を受けていた私立高の校舎、路面電車の専用軌道はバス専用の道になり、スピードが落ちて右手に赤い吊り橋の見える戸畑駅に止まった。
八幡で乗客は少し減り、黒崎で哲也の隣が開いた。折尾は後ろのほうが待っている人が多く、前のほうは少なめである。哲也はカジュアルな格好の平田が要るのに気付いた。彼は乗り込んできて哲也の横が開いているのに気付いた。
「おやぁ、偶然だなぁ」
「七帝のときはキャンパスに行ったけど」
哲也はアーチェリーがあったときに足を運んだ。試合は男女とも地の利でQ大学の優勝だった。会場は文系学部のエリアにあるグランドである。剣道も再開した関係で福岡武道館で行われているのを見た。
「勤務は福岡?」
哲也は鞄に入れた名刺入れを取り出して一枚渡した。平田は「M重工に内定した」と応じた。直接関わることはなさそうだが、A空輸が使っているボーイング767の胴体の一部はM重工が作った。哲也が沖縄へ行ってみたときに乗ったのはボーイング767である。両側の窓に2列、中央3列と横7列の客室は心なしかゆったりしたように感じた。
「小倉から福岡まで通勤してるの?」
「いや、寮に入ってる。昨日は実家で過ごしたけど」
電車は遠賀川の鉄橋を勢いよく渡った。車窓からは住宅が消えて山を走る感じになり、短いトンネルを抜けた。彼は自宅から大学に列車通学していた。快速は大学に近い箱崎を通過するので、香椎で乗り換えと言った。赤間に着くとピンクから白に紺色のラインに塗り替えられた古いタイプの電車が各駅停車として待っていた。快速に乗り換える人が写ってきて車内は座れない人も出た。
平田はK高から航空工学科に行った者が運輸省の航空局に入ったと言った。理系で金融関係に入るケースが増えたものの、やはりT自動車、JR、H製作所といった所が主流だった。
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