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2013年2月25日 (月)

下り坂(76)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

 平成六年の元旦もK高校の稽古初めで迎えた。哲也は面と小手まで自前のものを飛行機の手荷物で預けて運んだ。三十日の夜から二日の朝まで実家で過ごして東京に戻るスケジュールである。垂れと胴に竹刀のみ借りて会社のゼッケンを垂れに装着した。現役は総勢十六人、OBは大学生が十五人で社会人は八段の先生以下八人だった。同期は哲也のみ、一期下の永田が来ていて哲也から上は十五年も開いた。

 最初に来た二年生の進藤はN中の後輩である。彼は副キャプテンの位置だった。前年には竹刀を交えるチャンスがなかったので今年は真っ先に来たのかなと思った。立ち上がりは進藤の面を胴に抜いた。彼は振り向くとすぐに反撃して面を打たれた。十二月の運輸大臣杯で哲也は次鋒を務め、一回戦のT急行戦では小手で一本勝ち、二回戦のJR戦では面返し胴の直後に面を打たれて負け、チームもここで終わった。実業団のほうはスタンバイ要員で出番はなかった。

 最後の一本勝負で進藤から小手を取られて終わりにした。それから男女の部員十一人とやり、山田が哲也のところに来たら「一本勝負で終わるように」と会長からの指示が出た。午後一時に始まってちょうど一時間というタイミングである。現役は下座に整列し、やっているのは哲也たちと大学生同士の二組だけになった。道場の入り口には見るだけという大学生も集まっていた。それはO大時代の哲也自身でもあった。

 攻防がいくつかあるうちに哲也たちだけになった。一足一刀の間でさぐりあうなかで、哲也は剣先を少し下げ、右足を軽く浮かして山田に起こりを見せた。反応した山田の手元が上がりかけた瞬間、哲也の竹刀は彼の右わき腹を捉えて鋭い音がこだました。振り向いて構えた哲也に山田は頭を下げ、会長が「そこまで」と言った。

「おや、S学院大でキャプテンやっているんだぁ」

 着替えるとき哲也と山田は近況を話した。彼は八月に四段に合格し、警察を軸に公務員を考えていた。A空輸も受けてみるかと誘ってみたら「JRとも合わせて考えて見ます」という返事である。 

 

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