下り坂(67)
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平成4年4月1日付けで哲也は本社の旅客営業本部に異動となった。豪徳寺の近くにある独身者向けの寮にY運輸の単身者向け引っ越しを利用してテレビ、ミニ冷蔵庫、夏用のスーツやカジュアルな服、そして命の次に大切にしている剣道の防具や竹刀を送ることにした。福岡の寮での最後の夜は身の回り品だけをスポーツバッグに詰めた状態だった。
給与振込口座はF銀行にしていたが、東京に出るとD銀行の口座にするつもりである。ボーナスは郵便の定額貯金やK銀行の5年物利付金融債「ワイド」に分散していた。5年物にしたのは結婚はそのくらいかなという見立てにしたからだった。送別会では「支店の女の子を連れ去る気はなかったんだね」と上司から言われたりした。
寮の管理人に礼を言って鍵を返した。車も結局は買わずに済ませたが、哲也のあとに入った者は次々に車を入手して駐車場は満杯になった。さすがに外車を買う者はいなかったが、ソアラ、スカイライン、プレリュードのようにデート目的が明らかな車種ばかりである。
博多駅前でF銀行の口座を解約して、郵便局の通常預金に移した。郵便局とは大学時代から仕送りしてもらうのに重宝していた。バスで空港に移動すると大阪経由でロンドンに向かう英国航空の747が滑走路に入ろうとしているところだった。TOIECは4月になって受けることにするが、前回のスコアは685でまだ海外支店勤務には達していなかった。
午後2時に出発する羽田行は747だった。哲也は右側の前から2番目のドアのところを割り当ててもらった。ここは客室乗務員と向かい合わせで、緊急脱出があったときはドアの下で他の乗客を手助けする位置である。何回か東京往復してこの位置を定番にするようにしていた。
747も2階席が多い新しいタイプが入ってきていたが、駐機しているのは哲也がN中に入った年に導入した古いタイプの747である。新しい747は国内線で慣らしてから成田とロンドン・ニューヨークを結ぶ路線に入ることになっていた。東京での新しい仕事が拡大する国際線のネットワーク、さらに関西の新しい空港という心躍るものになると哲也は自分に言い聞かせた。
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