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2013年1月30日 (水)

何となく 何とでも(15)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

 朝8時過ぎにホテルをチェックアウトして路面電車に乗った。駅前は歩道橋がめぐらされ、電車の停留所は歩道橋から降りる形である。上が吹きさらしなのが惜しいと思った。雨が降っても傘をささないで済むからである。前夜言われたように長崎は本当に「谷底にある」感じだった。

 浦上駅前に着くと100円を払って電車を降り、歩道橋を歩いてK予備校に着いた。試験の開始は午前10時でそれまでに教室で40人の受験生の座席指定の作業を行った。受験生には15分前に入ってもらうことにして3人が欠席だった。学校の制服を着ているのが8割であとは浪人生のようである。

 最初は英語で試験は1時間半だった。そのあと、昼休みとなり、午後一時から小論文が1時間である。昼食はK予備校から用意された仕出し弁当をいただいた。最後の社会は午後3時から午後4時までの1時間だった。会場の片づけを済ませて帰りは浦上から「かもめ」に乗ることになった。

 答案は事務職員が持ち、私は余った問題用紙と解答用紙を運ぶことになった。夕食は大学に戻ってからということで、ひたすら我慢である。鹿児島組とどちらが先になるかなと事務職員は言っていた。新幹線が博多と八代の間もできれば長崎が一番遅くなるかもしれないが、その頃までには他にも会場を作るかもしれないともう一人の先生が応じた。

 その頃 私はどうなっているのだろう。真っ黒になった車窓を見ながら思った。東京に戻るチャンスが来るか このまま九州に居続けるのか 「かもめ」はまだ思い切り走れるところまでは行っていなかった。反対側から来る列車を待つためにしばらく停車するという車内放送が流れた。

 どうも テンションのあがらない ストーリーでしたヾ(´ε`*)ゝ

 2月から「下り坂」のA空輸入社からを進めますので 今後とも御笑覧くださいm(_ _)m 

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