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2013年1月13日 (日)

下り坂(54)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください

 魚町は93番だけでなく路面電車が廃止されてできた新しい系統のバスでも行くことができた。K高の前で専用軌道はバス専用道路として以前からの道路と分岐した。哲也は防具をかついだ永井や辻と専用道路から出てきたバスに乗り込んだ。元旦とあって車内はガラ空きである。

 Kホテルは赤レンガの8階建てだった。永井の防具はフロントが預かり、エレベーターで8階の宴会場に上がった。前年は4部屋とも新年会の客で埋まっていたが、今年はK高剣道部OB会の他は一つだけが静かに飲んでいた。部屋は掘りごたつ式で8人掛けのテーブルが4つあった。永田は帰宅し、哲也は辻や永井と同じテーブルについた。

 料理はすき焼きだった。あまり好きでなかったビールもA社が開発した「スーパードライ」のすっきりした味で変わった。

「こっちに戻るときは何を利用しているの」

 哲也は永井にビールをつぎながら尋ねた。去年卒業ということは未成年ということになるが、大学でも全く問題にしていなかった。

「JRですね。今回は新幹線。夏は大垣夜行と山陽線を乗り継ぎましたが、ものすごく疲れたです。寝台もいずれは」

「4月から消費税だけど、通行税が廃止されて飛行機は値下げになるよ」

「おいおい。もうセールスかい」

 辻が割り込んだ。彼は一度だけ羽田からD航空のエアバスA300で往復したと言った。羽田と福岡はJ航空、A空輸にD航空の3社が飛んでいて、大学の生協で安売りされるキップを使ったそうである。

「どうしてA空輸にされたんですか」

 永井の問いに哲也は「外国で仕事することもできるかなと思って」と答えた。国際線はJ航空だけだったが、A空輸にも認められるようになり、これからチャンスが広がると思ったのである。

 ホテルでの新年会は午後7時にお開きになった。市会議員をしている6段の人の家に向かうグループもあったが、哲也たちは家に帰ることにした。来年はどうなるかなと辻が言うと哲也は「会社次第だね」と応じた。

 この先については 別の作品をはさんで 2月上旬に再開いたします m(_ _)m

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