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2013年1月 7日 (月)

下り坂(49)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください

 午後6時を過ぎた阪急梅田駅のコンコースは職場や学校から戻る人々でいっぱいだった。K書店のスクリーンの前は待ち合わせのスポットになっていて様々な老若男女で混みあった。哲也はネイビーブルーのスーツにブルーとシルバーのストライプネクタイを締めて行きかう人を眺めていた。

 大学4年になって就職活動は本格化していた。下宿に帰るとR社などの就職情報誌から宅配された段ボール箱が鎮座していていろいろな企業への「資料請求はがき」が着いていた。哲也は金融・運輸を中心に活動していたが、公務員は念頭になかった。ゼミは国際法で、外交官を受けると言う者もいたが、厳しいだろうという見方が大半だった。

 ゴールデンウイークの前あたりから大学OBと名乗る銀行・保険の社員から夜9時以降に電話が入ることが多くなった。ゼミやクラブのOBで金融関係に行った人もいるが、勤務先は大阪ではなかった。地元に残るのは「リクルーター」として後輩の第一次面接をするということを聞いていたので、対応は丁重にするよう心掛けた。

 哲也が午後6時半に待ち合わせる約束をしていたのは、入行2年目でS銀行梅田支店に配属されている山本という人だった。経済学部の出身でクラブは軟式野球と聞いていた。目印はH百貨店の紙袋とタイガースキャップを左手に持っていて「連邦軍の山本少尉ですか」と聞くように指示された。それはS銀行が動いているということを回りに気づかれないための合言葉だった。

 目印の人が現れたとき、哲也と別にグレーのスーツに赤と青のストライプネクタイをした者が同じように「連邦軍の山本少尉ですか」と尋ねた。合流に成功してから山本先輩が「もう一人来ることになっているので、そこに移動します」と言った。

 哲也たちはエスカレーターで一つ下のフロアに行き、水の流れる地下街、吹き抜けにステンドグラスのあるところから滝の流れ落ちる脇のエスカレーターへと歩いて、滝を見下ろすレストランに入った。

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