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2013年1月15日 (火)

何となく 何とでも(2)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

「72A」に腰を下ろした私はシートベルトを締めるとイヤホンの袋を破ってチャンネルをポップスに合わせた。機内はビジネススタイルの客が多かった。窓側の席は全て埋まり、一部通路側にもという状態である。両側を挟まれる席はさすがに空いていた。空はどんよりと曇っていたが、福岡は晴れていると機内放送があった。

 海に面した滑走路を南に離陸するとすぐに窓の外が真っ白になった。機内誌のページをめくっていると雲の上に出て初夏の日差しが窓から差し込んだ。富士山は見えず、どこまでも雲の海である。機内のサービスが始まって飲み物はアップルジュースを頼んだ。離陸から40分くらいで雲が切れた。

 大阪湾は真下に神戸や明石海峡、ぐるりと弧を描く海岸線のはるか先に関西空港が見えた。時折機内誌から目を離しながら瀬戸内海の島々を見下ろし、広島湾と宮島を過ぎたあたりから機体が前のめりになって降下が始まった。関門海峡の橋や幾何学的に作られた北九州の埋立地、山の向こうの海に浮かぶ空港が見えると「まもなく着陸します」と放送があった。機内には張りつめた空気が漂った。

 海面がぐんぐん近づいて耳に水が入ったような感じになった。左に旋回して窓の下を人工島が通り過ぎた。コンテナ基地にすると聞いていたが、コンテナはあまりなかった。都市高速道路や高層住宅を飛び越え、前方のスクリーンに空港が映し出された。ターミナルビルの正面に並んだ巨大な広告が目に入り、着地の衝撃とエンジン逆噴射の轟音が響いた。音が静かになって客室内の空気が和らいだ。

 昼食をするにはまだ少し早いので、地下鉄に乗って勤務先のある西新まで移動した。東京ではスイカというIC乗車券を使ったが、こちらでは地下鉄用のFカードである。改札機に通すという点では一つ前のイオカだが、電子マネー化で福岡でもIC乗車券が導入されるだろうと言われていた。

 西新で下りるとF銀行の支店で通帳記入をした。給与はもちろんここに振り込みである。それから道の反対側にあるM屋という牛丼チェーンに入った。M屋は東京でもよく利用して500円硬貨1枚で牛丼・サラダ・味噌汁・卵がセットになっているのが魅力だった。学生がアルバイトしているが、私の担当科目にはいなかった。  

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