下り坂(43)
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大阪に来てから2回目の正月帰省は山陽本線を使って帰ることにした。秋にD大学で行われた大会で、哲也は偶然中田と出くわした。彼は商学部に入って大学でも応援団だった。もらった名刺に下宿の電話番号があり、コールしてみると年末に一緒に帰ろうという話になった。山陽本線の電車を乗り継いで帰るのは初めてだった。
午前9時15分に大阪駅を出る新快速の先頭車ということにした。中田は京都駅、哲也は大阪駅から乗車券だけを買って乗り込んだ。大阪駅の窓口で「北九州市内までの乗車券だけ」と言うと係員は「新幹線経由じゃないの」と応じた。乗車券は学割で購入した。新快速は姫路までで、クリーム色の車体に茶色いラインを入れ、背もたれを動かして向きを変えるタイプだった。
中田は進行方向右手の席に座っていたが、隣には別の客が陣取っていた。新大阪で新幹線乗り換え客が大勢降りたりしたので2人分を無理やり取るのは難しいはずだった。乗客が意外に多かったので哲也はドア際に立ち、三宮でどの席が空くかチャンスをうかがった。たまたま左窓側が空いたので座り込んだが、中田のほうは身動きが取れなかった。
冬の日差しを浴びた明石海峡を見て明石に到着すると車内はかなり空いてきた。中田が哲也の隣に移動してきた。
「ずいぶん混んでいたなぁ」
哲也がそう言うと中田は「小倉にはいつまでいるつもり」と言った。
「5日には大阪に戻ろうと思う」
元日のK高稽古初めは見るだけにはなるが顔を出そうと思った。どうして哲也たちの期だけが誰も来なかったのかということがOB会の間で言われていたのが聞こえてきたのである。
姫路到着は大阪を出てから約80分だった。ここから先は各駅停車である。11時過ぎに出る岡山行きはオレンジとグリーンのツートンカラーの3両編成だった。哲也たちは2両目の真ん中付近の4人掛けシートに斜向かいに座った。哲也は通路側の後ろ向き、中田が窓側の前向きである。
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コメント
親戚ん家に行ったら、独身は肩身が狭い。
親の介護で嫁に、行きそびれたら、江戸時代だったら孝行者でお殿様から、表彰されたたのに。
けど、
五十すぎたオッサンのとこのは、嫁に行きたくにいから、仕事がんばる。
二十代三十代の間は、一回り上は大丈夫なんだけど。
何でだろ?
昔なら、親戚から無理やり行かされてたろうなあ。
投稿: ミッチ | 2013年1月 2日 (水) 00時59分
相変わらず、韓国製スマホは、使いづらいです。
濁音符が、半分反応しないし。
反応と打ったら、なぜ、万能が出るのか、不思議。
投稿: ミッチ | 2013年1月 2日 (水) 01時02分
親孝行も 高齢化進んで「老々介護」になりつつありますよねえ
おかしな変換は 私の使っているマシンでも・・・
投稿: イワノブッチ | 2013年1月 2日 (水) 07時56分