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2013年1月18日 (金)

何となく 何とでも(4)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

 朝の日差しが下宿の窓から差し込んできた。ベッドを抜け出した私はテレビのスイッチを入れ、冷蔵庫から食パンとポテトサラダ、オレンジジュースを取り出した。今週は福岡で週末を過ごすローテーションである。三年生と四年生のゼミを交流させるということで、遠足が予定されていた。

 部屋はダイニングキッチンに六畳のフローリング、バス・トイレは別になっていた。キッチンには冷蔵庫と洗濯機、六畳にはベッド、テレビ、衣類のボックスだけである。ここは本当に寝るだけの場所だった。十階建ての1階は24時間営業のスーパーで私の部屋は七階である。

 福岡で週末を過ごすときは、あちこちに出向いた。南は大宰府や大牟田、西は唐津、東は福沢先生の故郷中津である。ゼミの遠足で行くのは北九州市の門司港だった。ゼミ性は四年が十一人、三年は十四人で、クラブなどの都合で欠席も多く、合わせて十六人と聞いた。うち四人は北九州市に住んでいるので門司港に直行だった。

 博多駅の中央通路には午前九時半の集合である。予定時間に行くと2人がまだ到着していなかった。博多と門司港は特急も利用できるキップが通常価格よりも少し安く手に入れられるようになっていて、学生たちは四枚つづり五千円を買っていた。一人の場合は二枚つづりで二千八百円である。

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