下り坂(52)
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昭和64年の元日が来た。もしかしたら違う年号かもしれないなと思いながら哲也は新幹線で帰省した。午後一時からK高で行われる稽古初めは見るだけにしてそのあとの新年会にも出るつもりである。あちこちで自粛となって飲食関係は嘆いていると聞いた。
93番のバスを降りて校門への坂を登ると現役が垂れと胴まで着けた状態でOBを出迎えていた。稽古初めの案内の封筒の発信はN中の斜め向かいで料亭を開いている18期上の人だった。現役のリストでは一年生の山田がN中の出身で、新チームでレギュラーに入っている実力者である。
「新年おめでとうございます」
哲也は卒業後に赴任した顧問の先生やOB会の年配組に挨拶して回った。一番年が上の先生は日本が太平洋戦争の敗戦で剣道を禁止されたとき、剣道部の代わりにラグビー部を立ち上げて、ラグビー部員にとっても一番えらい先生だった。その先生に教わった梶野8段はOBの中では最高段位である。
現役は男女合わせて17人、これに対して防具を着けたOBは20人くらいいた。大学生は1年下の永田がY大学、N中出身で哲也とは入れ替わりだった永井が東京のC大学、他にはF教育大、Q工業大、長崎のN大、中田のいるD大である。
大学生は大学生同士や現役の男子相手、女子部員は比較的年配のOBに掛かった。梶野8段にはOBが主に並んだ。哲也は永井と山田の動きを中心に見ていた。永井が元に立っているときは山田のほうがスピードで勝っているのがわかった。見ているうちに辻や同期の女子2人も現れた。みんな「手ぶら」である。
稽古は約1時間で終了だった。どういうわけか永田と永井の一組だけが試合モードでやっていて注目を浴びた。現役は立ったまま整列、OBの多くは着座して面を外し始めていた。
ナガナガ対決は面に打って出た永井の竹刀を受け止めた永田が胴に返して道場内にはじけた音を響かせた。「そこまで」という8段の声で二人は腰を落とした。静かになった道場に新幹線の走る音が響いた。
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コメント
昭和63年は、バリバリ高校生でした。
バブル期で、アメリカに留学したいな、、高校生でした。同級生は、私はドイツ人と結婚すると思ってたそうです。
あの時同級生に目を向けていれば。
投稿: ミッチ | 2013年1月12日 (土) 00時14分
おやっ 私は 哲也君と同じ年です・・・
投稿: イワノブッチ | 2013年1月12日 (土) 08時07分
ひのえの午年は、独身が多いとか。
投稿: ミッチ | 2013年1月12日 (土) 22時43分