何となく 何とでも(14)
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特急「かもめ」は佐賀平野までは快調な足取りだった。それが肥前山口を過ぎると左右にカーブが続き、スピードも控えめである。暗くなりかけた車窓には海が広がった。指定席の乗客はほとんどが長崎まで行くらしく押し黙ったまま週刊誌のページをめくったり、しばしの睡眠を取っていたりした。
長いトンネルを抜けて浦上に停車した。K予備校は駅のすぐ近くにあるが列車からは見えなかった。浦上から終点の長崎までは一駅だった。ホームは行き止まり式になっていて改札は先頭車両の先1か所のみである。宿泊するホテルは改札口を出て向かい側にある大きな建物の上層階だった。翌朝には路面電車で浦上に移動しようということになった。
各自の部屋に荷物を置くとロビーに再集合してレストラン街に向かった。事務職員は長崎の出身ではないが、大学の説明会などで何度もここに来ていた。もう一人の先生は九州の出身である。私だけが長崎は初めての街だった。港の夜景が見える店に入って夕食と少しだけアルコールを入れた。
「向こうが造船所で、あちらが大浦天主堂やグラバー園のあるところ。浦上のほうは原爆が投下されて一番ひどくやられたところです」
事務職の人がそういうと教員も一言付け加えた。
「暗いとわからないけれど、ここは谷底にあるような感じですよ」
S大学に来てまだまだ知らないところはたくさんあるなと思った。次の年度にもう一度ここに来て、熊本にも足を運んでみようと思った。次のシラバスは作成中で、イギリス経済論も引き続きやることになっていた。
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