何となく 何とでも(3)
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月曜日の午前中までの「半休」としていたので、午後一時には出勤簿を押さなくてはならなかった。大学は地下鉄通りの北にある県内では最難関のS高校の敷地のさらに北にあった。ずっと昔は砂浜だったらしく、少し下り坂になりかけていた。海岸線は埋め立てによって1キロ先に移動し、タワーが目の前にそびえていた。
教員の研究棟は4階建てで、1階のメールボックス室に出勤簿が置かれていた。月曜午前の半休は他にも取っている先生がいてみんな授業は火曜か木曜である。水曜日には全教員が出席する義務のある会議が入っていて一二年生のゼミはこの日に行われた。私の担当である3・4年のゼミは火曜日、金融論は木曜日、イギリス経済論が金曜日の朝一番である。金曜日の午後に半休にしようと思えば可能だった。
メールボックスを開けると学会からの郵便物や学内での回覧、そして学生委員会でサークル活動を担当しているため、対外試合の申請書類が入っていた。これに判子をついて教務に回した。試合の日程によっては「公欠」が必要となっていたりした。公認サークルについては顧問の教員が必要で、私はバスケットボール部を割り当てられた。体育館で週2回、夕方から活動している様子をたまに見るだけだった。
私の研究室は3階の南側だった。北側は小学校に面していてプールが見える部屋は小規模なゼミ用の部屋になっていた。S高校は講義棟に遮られているし、15歳を過ぎた女の子には興味なかった。部屋は幅3メートル、奥行き5メートルで両側に本棚、窓に向かってパソコンデスク、真ん中に長テーブル一つとパイプ椅子4つでイッパイだった。パソコンの電源を入れて最初にメールをチェック、そして次に東京に帰る予定を金曜日の夕方7時に福岡を飛び立ち、日曜日の最終便で戻るということで予約を入れた。
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