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2013年1月 4日 (金)

下り坂(46)

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 新大阪駅の新幹線ホームに上がると熱気が漂っていた。上空を大阪空港にアプローチするジェット機が轟音を振り落としながら通り過ぎた。哲也は旧七帝大のリーグ戦に選手として参加するところだった。二年生のときは名古屋が当番で幹事として移動と宿泊の手配をした。この時は東海道本線を使った。

 四年生は公務員や大学院の試験準備で練習が不十分という理由でこの試合の参加を見送り、三年生が主体になっていた。哲也も来年は仙台で大変なので後輩に譲るつもりである。仙台は新幹線の乗継、札幌となると飛行機での計画だったが、空港が近いから仙台も飛行機にしようと二年生たちは言っていた。

 東京行の「ひかり」が到着した。一日一本だけだった二階建て車両つきの新型は、二時間に一本は当たるようになっていて、哲也たちは一番先頭の指定席である。次期キャプテンになる者が「この電車の前は戦闘機みたいや」と言った。

 スピードも十キロ上がると音のリズムが変わった。哲也は「タタン・タタン」という音に小倉祇園を思い出したが、スピードアップした音はそれの「暴れ打ち」と感じた。車内は満席の状態で東海道をひた走った。

 富士山は雲の中に隠れていた。東京に行くのは初めてで、車窓の景色は全てが新鮮だった。右手を走るマリンブルーとクリームに塗られた長い電車を追い抜く頃にはスピードがかなり落ちた。その電車が下に隠れ、大きなカーブを曲がると短いトンネルである。左手に現れた線路を走る水色やオレンジにグリーンの電車はどれも長かった。

 東京タワーが目に入る頃には多くの乗客がそそくさと席を立ち始めた。東京駅に入る直前に一時停止して反対側の線路を下り列車が通り過ぎると再び動き出した。ホームに降りると再びねっとりした空気が体を包み込んで喉元や腕に汗が浮かんだ。

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