下り坂(53)
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初稽古のあとは例年通り道場に車座になって自己紹介と今年の抱負を述べるようになっていた。哲也にとっては高三と大学1年のときを除いて5回目だった。茶色い床板は昔のままで、そこに現役はジュース、OBは缶ビールが置かれた。
最初に顧問の先生から夏の玉竜旗と秋の新人戦の戦果が報告された。玉竜では女子が五人抜きを果たして4回戦まで進んだが、男子は1回戦で敗れていた。新人戦のほうは男女ともに県大会への進出を果たした。
現役は2年のキャプテンから出身中学と今年の目標を述べた。N中の出身は1年の山田だけで、夏のインターハイ出場を目指すと言った。他の一年生は2月の2段合格やレギュラー入りである。
OBはまず長崎のN大経済学部1年、永井と進んだ。OB会の事務局長はC大商学部の出身で学部を尋ねた。永井は法学部と答えた。D大学の者も法学部で、永田はY大学の教育学部だった。目標はもちろん「教員採用試験合格」である。
哲也は「昭和60年卒業の37期キャプテンだった岡部哲也です。現在O大学の法学部で、クラブはアーチェリーにしてました。4月からはA空輸に就職することになりました」と紹介した。年配の一人から「確か実業団もあったぞ」という声があった。
辻はテレビ局、女子一人は大学院に進むと言った。哲也たちの上は3期が抜けて哲也が入学したときにQ大学と言っていた人がQ電力に入り「4段に挑戦する」と言っていた。哲也は2段の状態のまま7年が過ぎた。
卒業年次が上がるにつれて話が少しずつ長くなり、最後の梶野8段は「徴兵されて中国大陸に」「復員したら剣道が禁止になっていて教師になる道が閉ざされた」「剣道を続けてなかったら右翼か暴力団になっていたかもしれない」という趣旨で15分くらい続いた。
最後に校歌を合唱してお開きになった。缶ビールはひとつ残らず持ち帰ることになり、それは大学生が片づけた。哲也も4本をジャンパーのポケットに詰めた。新年会は魚町に近いKホテルで行うと事務局長から伝えられた。
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