下り坂(45)
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山陽本線は意外に海から離れた場所が多く、明石海峡を過ぎるとずっと内陸だった。尾道のあたりでようやく海沿いに走ったが、再び山の中へと入りこんだ。電車はガラ空きの状態で「タタタタ」という音だけが床下から響いた。
広島では30分くらい停車した。新幹線に乗り換えれば1時間で小倉に行けるものの、まだ4時間はかかる行程である。乗客は少し増えて全ての席が埋まった。哲也と中田は窓側に向い合せに座り、通路側には別の人が腰を下ろした。
宮島の手前と岩国から柳井にかけて電車は海岸を走った。冬の日差しは次第に弱まり、徳山に着く頃には空が暗くなってきた。中田は「あと2時間の辛抱やな」と言った。新幹線の高架が頭上を過ぎて博多方面に向かう列車が追い越して行った。
電車の空席が増えて、哲也たちは姫路と岡山を走っていた時と同じ位置関係で座った。外は真っ暗になって何も見えなくなった。小郡・厚狭・長府・最後の新幹線乗り換え案内放送となる新下関・午後7時半を過ぎてようやく下関にたどり着いた。
九州への接続列車は降りたホームとは別のホームだった。しかも乗り換えの通路は一番後ろで、時間も3分しかなかった。駆け足で移動してクリーム色の電車に駆け込むと発射のベルが鳴った。
車内は満員だった。ドア際に立った哲也は大塚はいつもここを通ったんだなと思った。電車は日豊線へ入るので中田は乗ったまま、哲也は小倉で下車である。関門トンネルを抜けると車内の明かりが電流の切り替えで暗くなった。
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