下り坂(30)
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最終日は諏訪から中央自動車道で名古屋に向かい、新幹線で小倉まで戻ることになっていた。家と部への土産に高速道路のサービスエリアでアップルケーキを買った。家は9個入りで部のほうは一年生が8人、土曜日に稽古に来る人も考慮して18個入りを買った。稽古には8段を取ったOBなど6人前後が来ていた。
日本で一番長いという恵那山トンネルを抜けると中津川というインターで下り、妻籠という中山道の宿場町に立ち寄った。ここでも班単位で歩いた。昼食も近くのドライブインで済ませ、名古屋駅に到着したのが午後3時過ぎである。小倉に向かう新幹線の出発まで1時間近く待った。
哲也たちのクラスだけは7号車、あとは13号車から16号車だった。3人掛けの座席は真ん中で東京向きと博多向きに背中合わせで固定され、二人掛けは向きを変えることができた。修学旅行用に確保された席は前向きだが、一般用の3人掛けの席が後ろ向きになっているのは変な感じがした。
哲也は辻と一緒に車内の探検に出た。竹刀袋は網棚に置いたままである。8号車は食堂になっていて通路から窓越しに中を見ることができた。9号車がビュッフェでスピードメーターがあり、針は200キロで止まっていた。10号車を抜けて11号車のデッキまで来て哲也たちは立ち止まった。金色のドアは窓の代わりにグリーンのマークがついていて「立ち入り禁止」の雰囲気を醸し出していた。
広島あたりで太陽は完全に沈んだ。いったい何人が新幹線を使って受験に行くことになるのだろうかと哲也は思った。Q大学には70人前後が行っていて哲也もここの法学部が狙える位置には来ていた。Q大学なら高速バスで十分だが、さらに上ならば新幹線を使うことになった。勢いよく走っていた列車のスピードが落ち、急なカーブから石油コンビナートの明かりが未来都市のように広がっていた。徳山駅を通過した列車は再び加速した。
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