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2012年12月22日 (土)

下り坂(33)

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 文化祭のメインは講堂での発表だった。三年生のクラス劇のあとは、ブランバンド部、演劇部の発表があり、さらに校内でのオーディションを受けたバンド演奏も行われた。その一つ「グリーンアップル」というグループには中田が入っていた。竹刀の弦をビンビン鳴らしていてエレキギターに興味持ってしまったと彼は言った。ドラムはS中の剣道部だった者がやっていて手首のスナップがノリの良い音につながっていると言われていた。

 講堂行事のフィナーレとなるのは「みんなで歌おう」というもので、流行している歌が取り上げられた。前半は若者向きのハードなもの、後半は年配の人にも受け入れられそうな落ち着いた感じの曲、間にはアトラクションとして寸劇もあった。略称「みな歌」の係は、照明や小道具、会場を盛り上げる「サクラ」まで含めて100人以上が関わった。リハーサルは文化祭が始まる2日前からスタートして午後9時近くまで行われた。

 そのリハーサルは初日には係の長が最後に喝を入れ、2日目は少し褒め、3日目には再び喝というパターンだった。哲也は最後のリハーサルを見るために講堂に入った。本番のときには展示の片づけ作業が始まっていて、中田たちの晴れ姿を見ることが出来ないからである。「グリーンアップル」は「みな歌バンド」としてステージに立つことになっていた。ボーカルには辻も入っていた。

 歌の中では「モニカ」が OH THANKS THANKS THANKS THANKS MONICA の発音が紛らわしいということで実演できるか問題になっていた。辻の発音が一番いいということで彼のマイクだけボリュームをあげるという妥協案でしのぐこととなった。それも会場を圧するようにして変な発音が会場で出てきても聞こえにくくするというものである。バカバカしいと思われてはいたが、頭の固い教師を説得するにはこれしかなかった。

 最後のリハーサルは「明日はこの調子で」という褒め言葉で終了した。哲也が外に出たのは午後9時過ぎである。クラブではどんなに遅くても7時だった。校門への坂を下っていくと正面の高架を博多方面に向かう新幹線が通り過ぎた。ずらりと並んだ窓が流れ、2両に一つずつのパンタグラフが青白いスパークを放っていた。

 

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