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2012年12月30日 (日)

下り坂(41)

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 午後一時前に哲也はN中に着いた。家からは歩いたが、大阪では車は必要ないものの、免許は取っておいたほうがいいかなと思っていた。N中の1階部分の半分は哲也が入学した頃は駐車場だったが、3年の時に「音楽室」となった。車は狭くなった部分に入れるが、奥に入れてしまうと出せなくなる状態である。1台だけ奥に入っていたのはソアラだった。斎藤が助手席のドアを開けて防具袋を出していた。

「おや、いいのに乗ってるなぁ」

 哲也が声をかけると「中古だけど」と斎藤は照れ臭そうに応じた。彼は武道場に直行したが、哲也は職員室に足を運んだ。平田がQ大学の工学部にいることや小松がF大学、梅本は浪人して捲土重来を期していることなど情報は入っていた。剣道部の顧問だった先生は退職して、若い二人の5段を持つ先生が指導するようになった。市大会に出るのが普通になり、念願の県大会に近づいているはOBとして嬉しかった。

 武道場の入り口は上履きがかなりの数だった。三年生が引退しても30人はいる感じである。中に入ると基本の回り稽古の最中で、がっしりした感じの先生が注意しながらやっていた。斎藤もその輪の中である。

 回り稽古の後は相手を自由に選んで稽古だが、斎藤は入り口に近い部分の上座に立った。先生のほうにはずらりと列が出来て見た感じはレギュラークラスである。斎藤のほうに並んだのは紐が白で中学から始めたような者が中心だった。

 最初に斎藤に掛かった者は小太りで面のスピードもまだ遅かった。それでも受け止めて空いた右わき腹に鋭い一撃を入れていた。何本か打ち込みをさせた斎藤は「ラスト一本勝負」と言った。鍔競りの状態から斎藤が胴を打って下がったのに対して面へ行ったのを一本と認めた。

 10人目近くになってレギュラーの一人が斎藤の前に来た。初心者に対しては引き立てモードだったのが、最初から勝負に切り替えたのが哲也にもわかった。斎藤が面返し胴を浴びせたのに対して振り向きざまの面が入った。一本勝負は斎藤が面を狙った瞬間に胴をバッサリ抜いていた。

「もう一度やりたいと思わない」

 終わりの礼のあと、斎藤が哲也に言った。

「そうだな・・・。それにしてもここのレベル高くなったな」

「だろ。もうN中のゼッケン見てもラッキーとは思わせない」

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