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2012年12月15日 (土)

下り坂(27)

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 剣道の審判のあと、哲也は体操服に着替えてソフトボールに出ることになった。敷地の西側にあるグランドはラグビーに使われていて、その南側は野球場である。ソフトボールは外野の部分だけを使って行われた。哲也のクラスは広川のいるクラスと対戦することになった。審判は三浦である。彼はESSにいたが、ここは「エキサイティング・ソフトボール・ソサエティ」とも言われ、文化部対抗のソフトボール大会では最強を誇っていた。

 一回表に一点先行され、哲也はツーアウト一塁で最初の打順となった。初球の高めをミートして左中間を抜けるライナーを放って一気にダイヤモンドを一周した。ボールは外野を転々としていたので余裕で戻れた。そのあと、ライトで七番に入っていた広川がレフト線を転がっていくランニングホームランで同点に戻した。二回裏には二点を取ったものの、三回表で三点取られて逆転された。

 ピッチャーが広川に代わった。今度はランナーなしで哲也の打順だった。外側に来たのをライト方向に飛ばすと、ライトが目測を誤って後ろに逸らした。「回れるぞぉ」という味方の声援で哲也は三塁からホームへと突っ込もうとした。返球が思いのほか早く、キャッチャーとサードに挟まれた。哲也はかいくぐってホームに入ったが、三浦は「ラインから離れすぎ」とアウトを宣告した。

 それからさらに点を追加されて試合は負けになった。四組ずつのリーグ戦で一位通過した組同士が優勝を争うのは剣道や柔道とも同じである。そのあと、哲也たちのクラスは中田のところと剣道で当たった。これは審判をするわけには行かないので、応援ということになったが、運動部でない剣道選択者で作ったチームだったため、5対0で敗れた。中田は面と胴で2本勝ちしていた。

 

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