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2012年12月 2日 (日)

下り坂(16)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください

 哲也の乗った路面電車は、大門を出ると戸畑に向かう線路に入った。電車は鈍いモーター音をたてて、国鉄の線路をまたぐために坂を登った。夏休みが明け、哲也は月に一度行われる高校受験の公開模擬試験を受けることにした。夏休み前の中体連最後の試合で、団体はあと一歩で市大会進出を逃した。哲也は個人で区のベスト4に入って市大会に出たが、1回戦で敗れた。

 国鉄の線路が過ぎると電車は坂を下った。緑色に塗られた都市高速の2段式の高架をくぐると、哲也は理科のサブノートから目を離して進行方向左手を眺めた。少し高くなったところにK高校の校舎が見えた。ここは学区で一番難易度の高い県立高校である。N中は中高一貫として設立されたが、高校が何故か40キロ以上離れた場所になった。全寮制だから通学が大変ということにはならないが、1期生からK高校に入りたいと望む者が続出した。

 公開模試が行われるQ工業高校はK高校から1キロ先にあった。電停から専用軌道に沿って走る道路を50メートルほど歩き、高低差10メートルくらいの急な階段を登ると正門である。製鉄所のほうからコークスの焦げ臭い匂いが流れてきた。風の加減によって家でも匂ったが、哲也はこの匂いが嫌いだった。受付で番号をもらうと、指定された教室に上がった。教室からは真下に路面電車と国鉄の線路、戸畑の製鉄所から門司の山々まで見えた。

 最初に志望校を記入する紙が配られた。哲也は学校では25番前後を彷徨っていて、K高校は何とか行けるかもというレベルである。1教科40点満点で五教科合わせて180点がボーダーだが、学校で受けた模擬テストでは170点あたりだった。県立の第一志望はK高校、第二志望は剣道の強いS高校とした。私立は合格判定の対象で最も難しい鹿児島のL高校とし、次に福岡にある剣道の強豪O高校を選んだ。

 最初の教科は国語である。哲也は深呼吸で気持ちを落ち着かせ、問題文から読むという攻略法に従った。後で自己採点をするために解答用紙に記入した答えは問題用紙にも転記した。数学は図形問題に戸惑ったが、それ以外は取れたような気がした。社会は地理と歴史が合成されるのが福岡県の特徴だった。これに公民も加わったが、哲也が一番点数を稼げるのは社会である。

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