« 東日本大震災(1647) | トップページ | 東日本大震災(1648) »

2012年12月 9日 (日)

下り坂(22)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください

 福岡市民体育館は、夏の太陽に焼かれた熱気と防具の汗臭い匂いで息苦しかった。K高校に合格した哲也は剣道部に入り、三年生にとって最後の試合となる玉竜旗の応援に来ていた。一学期の終業式のあと、学校では午前だけの補習授業が行われていたが、それらはクラブ活動ということで休みにしてもらった。野球部の応援には全校で繰り出すことになっていたが、初戦でいきなり敗退して今年は無しである。

 5月のインターハイ予選はもちろん、玉竜も受験勉強で稽古していなかった一年生には選手となるのは無理だった。5人いる三年生は生徒会長になった1人を除いてメンバーに入り、二年生3人が食い込んだ。7人は博多の宿に泊まったが、応援のほうは高速バスで会場に駆け付けた。最初の相手は鹿児島のK工業だが、試合まではかなり待たされる感じである。

 トイレの「個室」で便が流れ去るのを確かめた哲也は、一本線の入った制帽を団扇替わりにしながら通路を歩いていた。入学時は上下黒で5つボタン、1か月ほどで上下グレーの5つボタン、今は上が白で下グレーという装いである。階段の手前で上が白で下が黒の平田、N中と同じデザインの斎藤が話しているのに気付いた。

「よぉ、久しぶりやのう」

 哲也が声をかけると、斎藤が「エーサクはどうしてる」と尋ねてきた。

「あいつは応援団に入った。ケースケは」

 斎藤の答は軟式野球部に入ったという意外なものだった。小松はJ高校に進んだが、剣道部にはいないことがインターハイの地区予選のときにわかった。

「ダイスケのところはどこと当たるんじゃ」

「佐賀のK商業、ヒデのところはQ学院だよ」

 Q学院は熊本県にある強豪である。N高のメンバーは中学の先輩で固まっていたが、今までの実績から見ても5人抜きされそうだった。玉竜旗は団体戦で勝者が残る方法になっていて先鋒から大将まで全て抜くことができるのが醍醐味と言われていた。

|

« 東日本大震災(1647) | トップページ | 東日本大震災(1648) »

コメント

ツイッターまで、マスコミが選挙分析してますわー。
時事関係は話せませんわー

投稿: ミッチ | 2012年12月 9日 (日) 15時53分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 下り坂(22):

« 東日本大震災(1647) | トップページ | 東日本大震災(1648) »