下り坂(28)
前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください
苅田港のフェリー埠頭に十台の観光バスが次々に到着した。盆が過ぎてから、K高校では二年生が信州に四泊五日の修学旅行をすることになっていた。一日目は夕方に苅田から大阪に向かうフェリーに乗船だった。高校には午後集合して、苅田港までは約一時間だった。フェリーは「さんふらわあ」という長さ百八十メートル、総トン数一万二千トンで、船体の側面には太陽のデザインが施されていた。
女子は操舵室のすぐ下のエリア、男子は中央部の二等船室である。午後六時に出港して夕食を済ませると自由時間になった。剣道部は旅の間も素振りをするということを取り決めていた。哲也が新チームの主将になって目標は県大会進出と定めた。一年生は二段の審査を控える者もいて二年生が不在の間は自主練習だった。
七月の玉竜旗で哲也は先鋒を務めた。最初の相手がN高だったのはどういう巡り合わせだろうと思ったが、同じく先鋒に入った斎藤を面抜き胴で倒し、そのあとは2人の先輩を引き胴の一本ずつで抜き、一年下の後輩だった副将には出ばなの面と逆胴、大将は知らない相手だが、出小手と面抜き胴を取った。K高としては久々の「五人抜き」となったが、次の相手は岡山県の強豪S高校で、哲也は小手を二本奪われ、後ろの四人全員が敗北した。
一番上のデッキに上がると外は暗くなっていた。月が神々しく輝き、周防灘は銀色の鏡のように広がっていた。「さんふらわあ」には船体の横揺れを防ぐフィン・スタビライザーというものがあると乗物好きのクラスメイトが言っていたが、確かに横揺れのない甲板では普通に素振りすることができた。いつものように上下・左右・跳躍というメニューをやっていると周囲にいる者は「暗い中でよくやるなぁ」というような顔で見ていた。
船室に戻ると誰かが持ち込んだ戦争ゲームを地図を囲むようにしてやっていた。ミッドウェー海戦で日本が負けなかったという歴史にしようとゲーム参加者は必死になっていて「ホーネットとヨークタウンを沈めた」と叫ぶ声がしていた。
翌朝、哲也は早く起きて明石海峡を眺めた。朝食の頃にはポートアイランドの南を通り、高層ホテルやコンテナ、クレーンが目に入った。午前八時に大阪南港に到着するとバス十台が待っていた。
| 固定リンク
コメント