下り坂(40)
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哲也の乗った大阪発福岡行の夜行バスは下関インターを通過して関門橋に差し掛かっていた。春休みに入って3日ほど小倉に戻ることにした。年末に戻った時は2階建て車両が組み込まれた新しい新幹線に乗った。指定券は諦めて2階建ての食堂車に潜り込み、高いアングルからの播州平野やトンネルですぐ横に見える対抗列車のパンタグラフの火花に新鮮な驚きを持った。
下関も門司もまだ明けたばかりでライトが点々としていた。海面から70メートルもある橋桁の上から眺めると空を飛ぶような感じである。九州に入るといくつかのトンネルを抜けて砂津のバス停に着いた。ここでよく乗り換えた路面電車は門司方面が廃止されてしまった。93番のバスに乗って実家に帰り着いたのは午前7時半だった。
大学に入って帰省する度に感じるのは、ここが自分の家ではないというものである。朝食を食べて部屋に入って以前と全く変わらない室内にどうしてもなじめない気がした。哲也は机の上に置いたままの年賀状を手に取った。K歯科大に入った斎藤から来たのはこちらの電話番号が記入されていた。哲也は9時頃にコールしてみた。
「おや、こっちに戻っていたの」
少し眠そうな声で返事があった。
「今日はどんな予定なんだ」
「午後一時からN中のクラブに顔出すよ」
斎藤は大学でも剣道を続けていた。歯科大も春のオフに入ったので、母校で自主練のつもりだった。N中はちょうど学年末試験が終わったところと彼は答えた。
押入れの中に道具は入れてあるが、玉竜旗を最後に使うことはなかった。正月の帰省ではK高で元日の午後一時から初稽古をやっていたが、哲也たちの期は誰も顔を出さなかった。この稽古は現役とOBの合同ということで、夏には玉竜旗の壮行も行われた。
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