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2012年12月12日 (水)

下り坂(25)

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 大門を出た93番バスは、戸畑に向かう路面電車の専用軌道と並走し始めた。一番後ろの席に座った哲也は窓枠につけられた降車ボタンに手をあてて前の動きに注意を払った。「次はK高校下」の案内で誰かが押そうとする直前に押すのが哲也の密かな楽しみだった。隣に座る広川はそんな哲也に呆れた顔をしていた。

 バスを降りて坂を登り、正門をくぐると地下にある靴置場へと進んだ。三年生が卒業して門に一番近い教室群はひっそりとなった。ここでは入学試験が行われ、哲也たちの次の学年になる者が間もなく発表されることになっていた。発表は玄関のすぐ脇で行われた。定員は元に戻され、N中から30人が受けたという情報があった。

 哲也は靴置場から教室へ通じるスロープを上がってすぐのところにあるトイレに入った。中学では登校して校内用の服に着替える時にズボンだけ持って用を足すのと履き替えを同時に行ったが、高校に入ってからも登校するまで便通がないという状態が続いていた。一番手前の戸を開けたとたん、直径5cmはある塊が鎮座していて周りの水は茶色になっていた。

 哲也は隣の「個室」に移動した。校舎は昭和34年に作られ、戸は木製で上はすりガラス、外開きという作りである。青いナップサックは背中に背負い、下は全部脱いでむき出しのパイプについたバルブにひっかけてしゃがんだ。後ろの戸を開ける気配があって「誰じゃあ」と叫んだのは中田である。応援団の仲間も「流し忘れたとのか流れなかったのかどっちだ」と応じた。「細くて長いのより、太くて短いほうが存在感あるのどうしてかな」と中田が言うと「体積だろ、πrの二乗」と返した。

 廊下も教室も床は板張りである。教室のすぐ外には何故かビワの木があった。哲也は机の上にナップサックを置くと、クラスマッチの予定表を取り出した。このクラスは男子だけで中学とは同じ環境である。私立のM学園やF中の出身者が多く、運動部の割合も高かった。哲也は剣道で審判をやり、ソフトボールでファースト四番を務めることになっていた。

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