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2012年12月26日 (水)

下り坂(37)

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 午前7時、大阪空港から着陸したジェット機がエンジンを逆噴射させる轟音が聞こえた。目を覚ました哲也は布団をたたんでテレビをつけた。阪急電車の走る音も目覚ましにはなるが時間がはっきりわかるのは飛行機だった。

 O大法学部に合格した哲也は、阪急宝塚線の蛍池近くに住むことになった。築6年の鉄筋4階建ての二階の部屋は廊下が北向きで、四畳半のダイニングキッチン、バス・トイレは別べつでトイレは大小兼用の和式である。六畳の南向きの部屋に暮らし始めて3か月で色んなものがちらばるようになった。

 大学までは歩いて10分もかからなかった。中国自動車道をくぐると正門である。大学では他のことをやろうと思った哲也は、アーチェリー部の門を叩いた。O大を含む旧帝国大学7校は様々な競技でリーグ戦をしていて、今年は京都のK大学が当番だった。選手は京都に泊まり、他の者は現地に集合となっていた。

 冷蔵庫に入れた牛乳と菓子パンで朝食を済ませると、蛍池駅に向かった。この駅は大阪空港に近いものの、急行は停車しなかった。ホームが踏切のすぐ近くにあるため、そこから出入りするのを防ぐために剣山のような突起が敷き詰められていた。哲也は河原町までの券を買ってホームに入った。

  電車通学する者はここから宝塚寄りに一駅の石橋を利用していた。石橋は急行が停車し、箕面に分岐した。二次試験を受けた時、哲也は箕面のホテルに泊まった。このホテルは斜面に建っていて、部屋からは大阪平野が一望できた。梅田行の各駅停車はガラ空きである。チョコレート色の車体に木目の内装は落ち着いた感じで哲也は気に入っていた。

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