下り坂(2)
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哲也は廊下の端にある「竹刀置き場」に行った。N中では週一コマ 体育として剣道が行われていた。1学年80人で2クラス、体育館でやっていた。哲也たち経験者は4月から防具をつけていて、体育館の脇に作られたプレハブの倉庫に防具を保管した。7月になって全員が防具を着けるようになり、武道具店の車が玄関先に来た。
三年生は山口県の萩市、二年生は長崎県の諫早での校外学習である。 それぞれ出発は1日おきにずらされた。8時半に2台の観光バスが校舎の下に到着した。ホームルームが終わると一同はバスに乗り込んだ。出発して2キロ走ると北九州有料道路の紫川インターがあって、ここから直方道路を経て九州自動車道である。福岡へ高速道路がつながったため、高速バスが運転されるようになった。
前から3列目の左窓側に座った哲也は、バスガイドの話に耳を傾けながら、居眠りをしていた。外の景色を見るようになったのは、鳥栖のインターチェンジを過ぎたあたりからである。田んぼの中を黄色い車体に赤い帯を入れた6両の電車が並走した。電車とバスは同じ速度で、電車が道路の下をくぐった。すぐに筑後川を渡り、トイレ休憩となる広川サービスエリアに入った。広川という名の者は別のクラスにいて、入学試験では同じクラスの梅本が一番だったが、最初の定期試験は彼が首位を取った。
植木というインターで高速道路を下り、山のほうに入っていった。急な坂になるとディーゼルエンジンの唸り声がひときわ大きくなった。少年自然の家は南向きの斜面に建っていて、事務室や体育館のある部分を中心に左右に翼を広げた形で宿泊室が並んでいた。昼食は広川サービスエリアを出るときに配られた弁当をバスの車内で食べ、自然の家ではまずオリエンテーションだった。
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