下り坂(3)
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夕食が終わって自由時間になると、剣道部6人で素振りをすることになった。建物から一段低い所に、キャンプファイアの出来る広場があったが、この日の夜は使う予定にはなっていなかった。空は小倉と違って星の数がはるかに多く見えた。
号令をかけるのは大塚である。下関出身の彼はキャプテンの後ろ、一番左を得ていた。哲也はその右隣だった。あとの4人は中学で初めて竹刀を手にした。中田は曽根の小学校では野球をやっていてポジションは投手だった。基礎体力があるせいか足さばきも振りもよかった。斎藤は長崎の出身で、寮に入っていた。背は6人の中で一番高かった。平田は永犬丸というところから路面電車で通っていた。小松は学校から南に4キロほどの徳力というところから来ていた。
「打ちこみもやってみようか」
前後に50本、左右の面50本、跳躍素振り50本のあと、大塚が提案した。4人は6月いっぱい面を着けずに打ちこみだけをやっていた。彼と哲也が竹刀を肩の高さにかざして、あとの4人が順に竹刀を叩いていくという方法である。七夕の前に行われた区の大会では学年ごとに個人戦が行われ、大塚はベスト16、哲也は2回戦負けだった。哲也の相手が優勝したとはいえ、悔しい気持ちに変わりはなかった。
校外学習の前の週末には中体連の試合があり、三年生4人と二年生3人が団体、三年生2人が個人で出た。いずれも市大会に駒を進めることはできなかった。二年生は5人いて、新チームがどのようになるかは夏休み次第である。大塚はチームの一員に加わる力を持っていたが、哲也も食い込みたいという意気込みで取り組んでいた。
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