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2012年11月28日 (水)

下り坂(13)

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 開会式では小学生70チーム、中学生44チームが整列した。司令からの挨拶があり、すぐに試合が始まった。哲也の古巣からは小学生2チーム、中学生1チームが出ていた。各チームとも正選手5人に補欠が1・2名である。N中はレギュラー5人がワインカラーに金色の校章の入った胴を着けた。これは哲也たちの代になって初めて用意された。新人戦ではまだ打たれていないが、練習では胴打ちの稽古もあった。

 Bチームが剣道連盟のCチームとあたった。こちらは一年生3人が並び、小松・平田が後ろについた。先鋒は面抜き胴で先行したが、小手を取られて追いつかれた。次鋒は互いに有効打がなくて引き分け、中堅は面を先に取られたが、面で追いついた。小松は小手抜き面と面返し胴で二本負けし、平田は鍔競り合いから引き胴で一本勝ちである。勝者数は同じだが、取った本数の差で涙を飲んだ。

 Aチームの相手はS少年剣道である。先鋒の福原は一年生ながら校章入りの胴を着けていた。父は剣道七段で、市立大学の剣道部師範を務め、剣道連盟の理事だった。学校のクラブに来ることはなかったが、それは顧問の先生のほうが年上ということも大きかった。父がコートの審判員席にいるせいか、福原は全力で戦い、面の一本勝ちでつないできた。

 次に出たのは斎藤だった。いきなり出ばな面を奪い、なんとか取り返そうとする相手から抜き胴を決めた。中堅の中田も気が楽になったのか、焦る相手を冷静に見て面抜き胴を立て続けに取った。大塚は普段通りの試合運びでメン二本を取って哲也につないだ。立ち上がった哲也は大きく深呼吸して天野と対峙した。彼と戦うのは中一秋以来である。前年の二年生大会で哲也はベスト八に終わり、彼は優勝だった。

 天野に対して哲也はこまめに移動して攻撃の機会を封じる作戦を取った。天野も哲也が得意な「面に対する胴」を警戒していた。哲也が負けたのは小手というパターンが多かった。それを注意して剣先は低めにして面に隙があるように見せたが、相手もそれは罠と気づいているようだった。互いに技を出すこともない神経戦をやるうちに時間が来た。面を外すと焦げ臭い匂いが鼻を突いた。

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