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2009年10月25日 (日)

国鉄末期の記憶

 高校時代はバス通学をしてました 鹿児島本線と日豊本線が分岐した所に側線があって赤い電気機関車(タイプは覚えてません)が4両 どうも貨物列車が減った(昭和58年には操車場方式が廃止)関係で、余剰になったんですね。赤からピンクへと色あせていく様子が「もののあわれ」を感じさせました

 文化祭のときに新幹線のパンタグラフを展示しました。どういうツテがあったかわからないけど、駅まで自転車で取りに行って 荷台に横にくくりつけて(危ないかも) 長さが1mくらいで真ん中の20cmが焦げてました

 それと 貨車の売却があって 新幹線口で展示 部室か何かに使えないかと見に行ったデス だけど・・・渡り廊下の部分が邪魔で運び込めないだろうと コノ案は没

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